【気づいていた・知っていた】なにもしたくない【心の根っこにあるもの】

2019-10-10

……かなり久しぶりにブログ書きました。
いくつか前の記事でブログ続けられるぜ!とか、三日坊主は抜けられます!とか書いていましたけど。
書いていませんでした。書けませんでした。

またこうやって戻ってきたわけですけども……。

いろいろと頑張ろう、やろうって決めては少しだけやって、つまずいて、放り投げる。
その度に、ふっと頭に浮かぶことがあります。

私は結局のところ「なにがしたいんだろう」「なにをしたかったんだろう」って。

頭のなかで、ひたすらぐるぐるして抜け出せない。

けれど、本当は気づいている。わかっているんですよね。
「なにもできない」のではなく、なにも”していない”ことを。

“しない”という選択を、自分で選んでいることを。

今の私は、抜け殻のヒト


来月10月は私が会社員を辞めてからちょうど1年。
去年の10月中旬に葬儀業界の裏方会社を退職、11月からは埋蔵文化財の発掘をして年が明けて…。
3月に発掘の契約が終了して…。継続した収入のない、いわゆるニート(しかも若干ひきこもり)になって、約半年。

「年々、1年が経つのが早くなるよ」子供の頃に散々聞かされた、オトナたちが言っていたセリフを、こんなカタチで実感するとは…。

なんでしょうね。
大通りの横断歩道で周りの人にどんどん追い抜かれて取り残されたような。でも流れには逆らえない。そんな気分。

…未婚の実家ぐらし。パラサイトシングル。加えてひきニート。
子どもの頃になってしまったらマズいものだと思っていたのに、なってしまいました。

なりたくないものに堕ちるのは、思いの外簡単なこと

穀潰し。親のすねかじり。

なりたくなかったんですよ。これでも。
でも、心のどこかでそうなるなって思っていたのも事実なのです。
薄々ね、子供の頃から気づいていたんですよ。ほんとうは。
無理やり気づかないふりをして、押し込んで。

少し遡った話になりますが、私は小中の不登校を経て通信制高校を卒業し、専門学校へ進みました。
卒業と進路。半ば強制的に起こるイベントがあるたびに悪い方向へ頭を回して、カタチだけの肩書きを手に入れてきました。

通信制高校へ進んだのは、一応は高卒を証明するため。
専門学校へ進んだのも、一応は専門卒という肩書きを得るため。
(大学は最初から選択肢になかった。大学に入れる頭(学力)なんて、持っていないと思っていたから。もちろん今も。センター試験の問題とか、絶対解けない。解けないとおかしいんだろうけど。)


…今思えば、もうとっくの昔からやりたいことなんて、持っていなかったような気がします。
なりたかったものなんて、とうに消えました。
なんてものは、どこかで枯れました。

数字という現実

毎月の返済額…約1万5000円。
残り約200万弱…だったかな。返済終了予定年は西暦2030年。あと11年。

私が借りてしまった奨学金の金額と返済までの年数です。
借りたものは返すのがきまりなので、返さなくてはなりません。

後悔していますけどね。
返済の説明会に出席した際に一番に思いました。「あー…馬鹿やったなぁ」って。
借りる前にきちんと考えなかった自分が悪いだけなんですけども。
約300万という大金の重さを、馬鹿な私は知らなかったのです。


後悔とは別に不安もありました。不安のほうが大きかったかなぁ…。
不登校続きで学なんてなく、学生生活の半分くらい休学して、就職活動から逃げた人間が働けるのか?
社会で生きていけるのか?人として大丈夫なモノになれるのか?って。

紆余曲折を経て、とある小さな会社に拾われたときは本当に安心しました。
「これでちゃんと奨学金返せる!」ってね。
(普通に就活したところで、私を拾うとこなんてありゃしないと思っていましたから)


とにかく「早く、奨学金返したい」と考えていたので、毎月数万ずつ貯めてさっさと繰上げ返済をするつもりでいました。

借金返済請負人の存在意義と理由と

社会人になって2年目の半ばくらいから…だったと思います。
手取りが13万円くらいで、安定していた頃かな。

親が借金を作っていることがわかりまして…(ちなみに2回目らしい)
いわゆる任意整理(債務整理)をしました。

まぁ…私が勝手に借金(+不倫かも)を嗅ぎつけ、明るみに出して問いただし…
親に委任状を書かせて信用情報を開示して、金銭トラブルの無料相談会に行き…

自己破産でもなく、個人再生でもなく、債務整理が決定しました。
まだ希望はある(らしい)」ということで。


まだ希望はある(らしい)
ある意味、ギャンブルです。勝者不在の賭け。

最終的に約300万の支払いが残り、毎月5万円の返済が決定しました。

…私が、払っていました。毎月きっかり5万円。
もちろん、生活費等とは別に。

私が、返済分のお金を出さないと払えなかったんですよ。
借金作った本人の給料は、同じ家に住んでいる人間の生活費で相殺されます。
(これのどこに希望があったんだろう)

そんな生活を約2年…でしょうか。もう少し短かったかもしれない。けど、まぁ、毎月続けました。
毎月、自分の給料の振込み日に先に5万円を下ろして、渡す。

…当の本人は自分の小遣いでパチンコ行っていましたし、今も行っているのでしょう。律儀にノートまで取って。笑えますよ。ほんとうに。

言い出しっぺ” ”借金があることを嗅ぎつけて明るみにした私の責任”そう思っていましたし(今も思っている)、実際問題、私が払わないとお金を出さないとどうしようもなかった。

2回、返済が遅れれば一括返済を求められる。そんなの、とてもムリなわけで。


けれど…なんだか、とても疲れてしまったのです。
…不思議と疲れることって重なってしまうんですよね。


乗り越えるだけの強さが、たった数年を耐える強ささえあればよかったのに。
私には、無かった。

存在価値は、金で首をくくった後に

会社を辞めて2ヶ月後。埋蔵文化財の発掘を初めて約1ヶ月が立った頃、私あてに1本の電話がありました。
「保険に加入しませんか?」と。

数日やりとりをして加入を決めました。
他に加入していた保険が切れることを表向きの理由にして。収入ないのに。

申し込みの最終電話、契約内容を一つずつ確認しました。
ケガ、病気の治療、女性特有疾患の保証、そして死亡保障。

すべての確認が終わり電話を切ったあと、自然に思いました。

「さて。これでうまいこと死ねたら、(死亡保障のお金で)債務整理の返済はチャラにできる」って。

息を吸う、息を吐く。人間としての動作をするように。
別に、そんな感想を持った自分に驚くことはありませんでしたが、別の点で自分自身に感心しました。

”心から思うって、こういうこともあるんだなぁ…”自分のことなのに、ヒトゴトのように感じている自分がいることに。

ぴったりひっついた2枚のロースハムを途中までペロッと剥がしたような…。
自分の感覚が、やけにきれいに裂けて剥がれるような…。

残高が空になる前に、すでに空っぽだったモノがある

保険の引き落としがはじまって早半年。
奨学金も無事に引かれてます。残高ギリギリ…だと思いますが、まだ生きてはいます。

債務整理の返済は…紆余曲折あって、私がお金を出す必要はなくなりました。
というか、私に継続的な収入がないので、そうなった…いや、そうしてしまったとしか言えない。

払えなくなった、払わなくなった。なのに、不思議なコトに罪悪感はないのです。薄情な人間だなぁとは思います。一応、同じ建物内で生活している以上。


側から見れば、今の状況も状態も、おかしい。

どれもこれも、やらなきゃいけない、どうにかしなきゃいけない。

動かないといけないのに、やらなきゃいけないのに。
わかっているはずなのに、どうも、おかしい。変なんですよ。

どこかで、見えないどこかで、私が叫んでいるんです。
だけど聞こえない。


ぜんぶひっくるめると辿り着いてしまうのです。

「なにもしたくない」に。

みんな大好き自己責任

自業自得だとして、なにがいけなかったのでしょうか。

馬鹿なまま、弱いまま、今に繋がる道を選択したことですか。



「助けて」なんて言える立場の人間じゃないのに、どうしたらいいのだろう。

どうすればよかったの。

私は、どうすればいいの。

私は、どうしたかったのだろう。