誰かから「死にたい」と言われること

突然ですが、親しい人から「死にたい」って、もし言われたら、どうしますか。
どう受け取りますか。なんて言いますか。なにか…言えますか。
こんにちは。うだうだブロガーです。
今回は…下の記事、幡野広志さんがこたえている”自殺について”をいろんな方に読んでほしい…!と思って書きました。
そして、私が遠回しに「死にたい」と言われた時のことも書いてみました…。
とにかく!この記事を読んでほしい…
それは…この記事。自殺について。
写真家の幡野広志さんが、さまざまな人生相談にこたえている記事です。
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やがて訪れる最期を、今に望むこと
今回の、この記事を読んでいたら昔のことを思い出しました。
ざっと10年~7年前くらい。歳で言ったら、中学~高校生の時にあったことを。
その頃に、よく聞いていたんですよ。
同じ人から、何度も。
…言葉として、そのまま「死にたい」と言われたわけではない。
でも、その人が望んでいる…。
求めている…すがりたいのは死なんだろうなと感じる出来事がありました。
その人の”死にたい”には、寂しさも混じっていて…。
寂しさは、一時的にすりかえたり、ごまかすことができるかもしれない。
…仮にできたとしても…心のどこかが虚(うろ)であることは否定出来ないかなって。
「おとうさん、早く迎えに来て」
そう言っているのは、私の母方の祖母。
たまに会うと思い出話がはじまって…過去の話が終わると言うんです。泣きながら。
いつの頃からか…祖母はそれまで以上に、思い出を話してくれるようになりました。
幼い頃から下の妹弟の面倒を見てきたことにはじまり、戦中戦後の苦労話。着るものがないからと自分で作っていたら、洋裁・和裁が大好きになっていたこと。
祖父と出会い結婚して、子育てしながら働いてきたこと。
住み慣れた街を離れて、今の街に越してきたこと。祖父にガンが見つかり手術をした日のこと…。
祖父が亡くなってから25年も経つのに、自分はまだ生きていること…。
「死にたい、死んでしまいたい」とは言わないんです。
でも必ず言うんです。「おとうさん、早く迎えに来て」「おとうさんのところに行きたい」と。
私がしたのは…できたことは「うん…うん…」って頷くか「そうだね…いつ来るんだろうね。私はじぃじ(祖父)にあったことないから、来たら教えてね」と言うことくらいでした。
それが、精一杯でした。
補足:私は、魔法使いにはなれない
祖母はずっと一人暮らしだったのですが、その後いろいろあって、今は老人ホームで暮らしています。
老人ホームでの生活がはじまる前にも会ったのですが、やっぱり言われました。
ううん、言っていました。
「おとうさん、早く迎えにきてよ」と。
…それまでは週1回、月に3回…月に2回と会っていましたが、今はほとんど会っていません。
私個人は、3年くらい会っていません。正しく言うと、会えないんです。私が。
会えば言われるでしょう。今ではそれに加えて「家に帰りたい」とも言われます。
私は、そのどちらも叶えられない。
「おとうさんのところに逝きたい…」も「はやく家に帰りたい」にも、聞くことしかできない。
頷くしかできない。
私が会うことで、そんな辛いことを思うのなら…忘れたままのほうが、忘れていられる方がいいのかもしれない…。
そう…考えてしまうのです。
『否定だけはしたくなかった。でも”なにがいい”のかはわからない
「辛かったね」と言ってあげてください。
……『もしも「自殺したい」と言われたら?』という相談に対して、よく見かけた”こたえ”です。
当時の私には、そんな知識ありませんでした。
仮にあったとしても「辛かったね」なんて言える気がしません…。
「辛かった」んじゃない。今「辛い」のだと思うから。
それに…私は肉親を失ったことがありません。
そう簡単に、同情のような、わかったふうな言葉を言っていいのかわからない。
ただ…相手の思いは、感情は否定したくない、これは否定しちゃいけないと感じていました。
だから…自分の目の前で、言葉を…「おとうさんのところに逝きたい」と泣く祖母に、母と伯父が「そんなことを言ったらいけない」と言う状況が辛かった。
ぼんやりと「それでも殺してくれとは言わないんだよな」って、よくわからない考えが飛び出すくらいに。
「おとうさんのところに…」は、とっくに聞き慣れていたはずだったのに、なんて答えればいいのかわからなかった。
あの場に私が居たことで、なにかできたわけでもないのに。
それでも…言葉にできたわけじゃないけど、せめて私だけでも「死んだじぃじ(祖父)のところへ行きたいと思うことは悪いことじゃないよ…」って伝えたかった…。
母と伯父に「否定をしないで」と言えたら、なにかが違ったのかもしれません。
死にたいと思う、望むということ
私は…自分自身が生きていることを無条件で良いことだと思えていません。
だから…でしょうね。別に”死にたい”という想いを持つことを悪いことだと思っていません。
良くも悪くも、人がいずれ死ぬ存在だと知っています。
ゆるやかなものだったり、ぶつりと切れたり…それこそ、どうなるかなんてわからないんです…。
生きたいと願うことも、死にたいと願うことも…どちらに良いも悪いもないんじゃないかなと思います。
おまけ:自分が「死にたいと思うこと、言うこと
私自身、死にたいというよりかは消えたい+存在した事実を消したいと思ったり思わなかったり。
さすがに四六時中思っているわけじゃないので、なんとも言えませんが…。
自殺…考えたことあったような気がします。
けど、跡形もなく…後処理の必要もなく逝くのは大変だなぁと思っているので実行しないし、できません。
ただ…なんとなく、こうして思うことを吐き出すことで何か変わるような気がするような、しないような…。
もしかしたら顔も名前も知らない誰かが、何かを知る、思うきっかけになるかもしれないから。
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